ルーマニア正教会日本支部

在東京ルーマニア正教会は、2020年11月3日火曜日、聖ジョージの遺物をリダにある教会に移す記念祭で祭壇の奉献がされました。 祭壇の奉献は、西ヨーロッパのルーマニア正教会府主教イオシフ座下と東京の大主教と全日本の府主教ダニイル座下によって行われました。

奉献までには準備工事を含め数年かかりました。 在東京ルーマニア正教会は12年前に設立されました。2008年、ルーマニア総主教庁は、日本在住の信徒たちの要請に応じ、司祭アレクサンドル・ニコディム神父、クリスチャン・ゲオルギウ神父を日本での牧会のために派遣しました。

現在の管轄司祭はダニエル・コリュー神父です。

祭壇の奉献は、在東京ルーマニア正教会を宗教法人としての認可を得るためにも、その信徒らによってなされた努力が報われるものとなりました。 在東京ルーマニア正教会・聖ゲオルゲ教会は2020年8月に宗教法人の認可を受けました。

日本における正教会

日本の聖ニコライ(イワン・ディミトリエヴィッチ・カサトキン生まれ)は、19世紀に正教会を日本にもたらしました。

1861年、彼はロシア正教会から北海道・函館に派遣され、ロシア領事館のチャペルで奉職しました。

いくつかの短い旅行を除いて、聖ニコライは日露戦争(1904年から1905年)の間も日本に留まり、正統派を全国に広めました。 彼は日本で最初の正教会の主教として叙聖されました。

聖ニコライは東京・神田に復活大聖堂を設立し、半世紀以上この地域で過ごしました。 東京復活大聖堂は聖ニコライにちなみニコライ堂と呼ばれるようになりました。

掌院アナトリイ・チハイ

ルーマニアの掌院アナトリイ・チハイは、日本の土地での正教会の使命において重要な役割を果たしました。

修道司祭アナトリイは1871年12月に来日しましたが、当時のニコライ神父の活動はまだ北海道の函館地域に集中していました。

ルーマニア人であったアナトリイ神父は正教会の司祭として、また函館の宣教師センターで働き(1872-1878)、のちに日本の正教会神学校(神田駿河台)での教授として勤め、また大阪の正教会を建て(1878)ました。ロシア正教会の宣教団に所属する指導者として日本で働き(1879-1881)、大阪の正教会学校の校長も務めました(1882-1889)。

1880年に、アナトリイ神父は掌院の位に昇叙。 1880年代の終わりに、アナトリイ神父の健康が悪化し、1890年の夏にロシアに戻り、1893年11月28日、主のもとに召されました。

アナトリイ神父が最初に日本を訪れた時、50人の政教徒しかいなかったが。 彼が去ったとき、信徒の数は2万人以上となっていました。

アナトリイ・チハイは多言語の才能を持っていました。彼は母国語のルーマニア語に加えて、ロシア語、ギリシャ語、日本語、ブルガリア語、英語、教会スラブ語を話しました。 彼はまた、フランス語、ドイツ語、中国語の知識を持っていました。

彼は多くの日本国内の宣教旅行、また一度の中国への宣教師旅行(1888年)を行い、2つの宣教日記を残しました。 最初の宣教師日記は、アントニー主教の祝福のもと、2018年にバルチのルーマニア正教区によってルーマニア語と日本語のバイリンガル版で出版されました。